2016年11月21日月曜日

真田丸、豊臣秀次の苦悩

自分にも男子が生まれたのに
懐妊した淀どのの子のことで悩み、
わずか生後2カ月で亡くなった際に
これで太閤から目をつけられなくてすむと
安堵したことを語った秀次。
子が亡くなったことを安堵する親が
存在するものか、それほどまでに追い詰められて
いたという描写が秀逸だった。

時は朝鮮遠征の最中、秀頼の生誕、
秀次事変まで間もなくである。

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